長崎原爆忌・安置された被爆マリア像
長崎・浦上天主堂に新設の祭壇に安置された「被爆マリア像」。戦後、同天主堂のがれきから発見された。平野勇主任司祭は「戦争と被爆を体験した像を反戦・反核のシンボルにしたい」と話した。
時事通信社:8月9日
長崎市本尾町の浦上天主堂で、終戦後にがれきの中から見つかった「被爆マリア像」が、60回目を迎えた長崎原爆忌の9日から公開される。
時事通信社:8月7日
長崎市本尾町の浦上天主堂で一曲だけのコンサートが開かれた。曲は「被爆のマリアに捧げるアヴェマリア」。瓦礫の中から見つかった被爆マリア像がこの日、天主堂の祭壇に60年ぶりに安置されるのを記念したものだ。企画したのは東京都文京区の岩波智代子さん(57)。目を閉じて聞き入った岩波さんは「記憶を摘む悲劇は長崎で最後にしなければ」と静かに祈った。天主堂は爆心地からわずか約500メートル。原爆は浦上で暮らしていた信徒1万2000人のうち、8500人の命を奪ったとされる。
岩波さんの父親は市外にいたが、3日後に市内に入って被爆し、19年前に他界した。岩波さん自身は天主堂近くで生まれ育った被爆2世。実家は代々の信徒で、原爆の犠牲になった祖母たちは、明治初期の信徒迫害「浦上四番崩れ」が語り継がれ、記憶に残っていたはずの世代だ。「記憶の継承を理不尽に断った原爆を憎みます」と岩波さん。やがて「被爆のマリアに捧げるアヴェマリア」という、ベルギー人の作曲家エリック・コロンさんの曲に出合い、4年前から、この曲のコンサートを長崎県内の教会で開き始めた。「伝承されていたはずの歴史、原爆で失った『文化』を取り戻したい」一心だった。
被爆マリア像は原爆投下2か月後に見つかった聖母像の頭部で、右ほおに黒く焦げた跡が残る。小聖堂に復元された祭壇に、マリア像を納める式がこの日行われた。「天主堂で歌いたい」。コロンさんの娘で、日本人の母親を持つ声楽家のコロンえりかさん(東京都世田谷区)から相談を受け、岩波さんが橋渡しした。式の後、えりかさんのソプラノは、パイプオルガンの伴奏が流れる中、堂内にこだました。マリア像をたたえる曲に、信徒たちは聞き入った。歌い終えてまもなく、午前11時2分、原爆犠牲者を悼むアンゼラスの鐘が鳴った。
読売新聞:8月9日
「おじいちゃんが建てた教会」はこちら
旧浦上天主堂は、大正14年、建設の時にも参加しましたが、双塔は鉄川与助が作りました。浦上天主堂は、長崎市の浦上にあり、原爆の爆心地から北東に約500mしか離れていません。旧浦上天主堂は、着工してから実に31年という月日をかけて完成しましたが、20年あまりで、原爆によって一瞬に壊れてしまいました。現在の浦上天主堂は昭和34年に再建されたもので、与助の長男与八郎の設計施工です。
鉄川与助のつくった天主堂は、50以上と言われています。特に五島列島にある小さな教会が建築的にも優れていて、地域に馴染んで印象的です。